自然な自分を思い出すことに向けて

私も数十年前に体験があるが、抗精神病薬を断薬後、半年から1年後ぐらいに大きな反動が来ることがある、という情報があり、そのため、睡眠薬は抗精神病薬を断薬してからもしばらくは様子見で飲むことにして、先に抗精神病薬を減薬することにした。

しかし、抗不安薬や睡眠薬に関しては、ネットや書籍で情報があふれていて、断薬した方が絶対にいいと思えたし、減薬のプロセスで起きることに関してもある程度予測して取りかかることができたのだが、抗精神病薬に関しては情報がほとんどない。

まだ減薬量は15%減なので、大きな変化はないが、まず、減薬するという決断自体により、少し不安定になった。

ただしこれは、減薬自体に伴う影響ではない。

それから、親との間で感情をあらわにして話し合う出来事が起こり、話し合い自体はよい結果に終わったが、自分としてはかなり無理をして感情を表現したことにより、これでもまた精神が不安定になった。

そして、その影響で一つ、大きな病が抜けていったようで、気分が少しよくなった。

たまたま、Oリングで、必要なバッチフラワーレメディを測定して、そのレメディを飲んだことが、大きなヒットにつながったというのもあるだろう。

ただ、インナーチャイルド、あるいは子どもの私は、腹の底に押し込められてぐったりとして虫の息である感じが伝わってきている。

これは悪化しているという意味ではなく、以前からそうだったのだけど、以前は、抱え込んでいる闇や、ポジティブなふりがあまりにも強く、素直に自覚することができなかった。

しかし、少しずつ心の無理がなくなってきているので、この方向でいいのだろうと思う。

いつ頃変化したという記憶ははっきりしないが、いつ頃からか、私の根底が否定から始まっていたものが、根底が肯定へとシフトしていたようで、たぶんこの感覚が、自己肯定感と呼ばれるものと何か関係があるのだろうし、この感覚が最も必要なことだったのだろうというのも感じる。

これは、無理矢理に自分を肯定するというのとは全く異なるが、意識的なものである。

ただし、根底がシフトしただけでは、その上に積み重なっている否定に否定を重ねる癖は変わらないので、そこは少しずつ変化を受け入れていくところだろう。

今、「変化を受け入れていく」と書いたが、実際私は、何か自分に変化を引き起こしているのではなく、起きる変化を受け入れるという方向で回復している。

そしてそれが、「自然な自分を思い出す」ということなのだろうとも思う。

生命力の低下

睡眠薬の減薬は、ほぼ半分減らすところまで来たが、今のところ大きな離脱症状はない。

この後、このまま睡眠薬の減薬を進めて断薬するか、とりあえず睡眠薬を半分まで減らしたら先に抗精神病薬を減らすかで迷っているが、どちらでも大差ないようにも思う。

最近、抗精神病薬の薬害について、突っ込んだ内容の記事をネットで見かけ、それを読むと、やはり私はかなり薬害が出ていると思わされた。

簡単に言うと、抗精神病薬を長期連用している人は、薬によって引き起こされる統合失調症に陥っている場合がかなりある、というようなことである。

また、抗精神病薬の長期連用で、脳機能に損傷が起きて認知機能が低下したりするそうである。

そうしたことを考え合わせると、私は徐々に抗精神病薬の副作用が出ていると捉えた方がよさそうである。

参考記事は、
https://ameblo.jp/8791mia/entry-12629524048.html

https://ameblo.jp/8791mia/entry-12629644935.html など。

減薬・断薬をして、果たしてそうした副作用が軽快するものか、分からない。

しかし、最近になって、生命力がかなり低下しているのをだんだん自覚するようになってきた。

もし薬を飲み続ければ、近い将来、私は寝たきり同然になって、最低限の身の回りのこともできなくなっていたかもしれないと思う。

本当に膨大な問題をくぐり抜けてようやくここまで来たが、本当の回復はまだ始まったばかりというところであろう。

この、生命力の低下の問題は、どうやら私の大きなテーマの一つのようで、子どもの頃から私は根底ではずっとそうだったように感じる。

そしてつい最近になるまで、その問題に対して、無理をしてでも頑張れば活性化して克服できる、というようにして、結果としてますます衰弱する、ということを繰り返していた。

コロナで自粛生活が続くようになったぐらいから、ようやく、絶えず無理をしているモードだったものが少しずつ緩和されて、低下している生命力に合わせたスタイルになってきたように思う。

それは、半ば寝たきりかというほどの衰弱ぶりではあったが、ここまでしないと私は、自分という存在の根本、つまり生命力が弱っていることを、自分のこととして自覚できなかったのだろう。

そうして、自己存在と自分の根本との間にあった、何か「ずれ」とでもいうようなものが修正され、今までは、自分の根本を抑圧否認して存在するという存在様式だったものが、ここ数日ぐらいから、自分の根本の上に自分が成り立っているという感覚へと移行したようである。

(この数週間ぐらいかけて、少しずつ、上がりきっていた気の重心とでもいうようなものが下がってきて、そしてその最終段階で、この移行が生じたような感じである)

それまで、自分の生命力の根本を否定しながら元気になろうとしていた、つまり、弱っている生命力を「抹殺」することで回復しようとしていたこと自体、矛盾していたのではあるが。

おそらくこの矛盾を、向精神薬が強める方向に作用していたのではないかと思う。

まだ、この移行が充分に定着したわけではないだろうけど、たぶん、これが最も必要だったのではないかという気はする。

断薬へのこだわり

8月15日から抗不安薬を断薬し、それから3日間たったが、毎晩、ひどい不眠に襲われている。

しかし、睡眠薬はまだ減薬していない。

おそらく、「断薬する」という決断をしたこと自体がプレッシャーとなって、意識を過覚醒状態にしているものと思われる。

それにしても、減薬中から諸々のストレスで体重も体力もかなり落ちているところにこの不眠はきつい。

バシャールのブログで、「ストレスは『ありのままの自分に背いた自分』からやってきている事を知ってください。つまり、ストレスは『ありのままの貴方』に必要のないエネルギーで、貴方の歩みを止めてスローダウンさせてしまう”対立するエネルギー”になります。(中略)『ありのままの自分』を取り戻す手取り早い方法は、一旦全ての想いを手放した状態になって『どうなっても平気』という意識になる事です。」とある。

(引用元 : https://ameblo.jp/viva-bashar/entry-12618561336.html )

また、ストレスは、川の流れに逆らって歩き続けようとしている「不自然なエネルギー」だとも書かれていて、そんなことをしていたら消耗するのは当然だし、これも感覚的に分かる。

今回の場合は、「こうでなければならない」という意識が、ストレスの根底にあるのではないかと思うが、具体的には、例えば、「減薬を開始したからには、もう、以前の量に戻りたくない」とかのようなこだわりが、「減薬を進めなければならない」というような意識になり、それが不自然なエネルギーとなっている可能性がある。

また、「断薬した」ら「成功」で、「断薬できなかった」ら「失敗」という決めつけもある。

先の記事には、「「失敗」という捉え方はイリュージョンになります。「失敗」があるから「光」を見分けることができます。「失敗」があるから自分の行きたい道を明確に見つけ出すことができるのです」とも書かれている。

はじめの引用にも書かれているが、いったん、すべての思いや、「こうなってほしい」などの気持ちを手放すことなのだろう。

減薬・断薬すること自体が、流れに逆らっていたというわけではないと思うが、流れに逆らって、減薬を進めようとしていたのは感じる。

それは、なるべく短期間で断薬まで持ち込もうという意図であり、そこには、金銭的にも、もう悠長に減薬に取り組んでいられないという焦燥感があり、一刻も早く薬をやめて元気になって働かなければマジでやばい、という危機感が根底にある。

では、どうすることが「流れ」だったのだろうと自問すると、断薬までにどれだけかかるかを気にせず、脳神経の回復のペースに合わせて減薬していく、という、基本中の基本だった。

あるいは、まず、心の回復に先に手をつけ、そこそこ大丈夫になってから減薬に着手する、といったことだろう。

もう、そんなことをしている暇はない、という危機感がかなりあったし、今もあるのは正直な気持ちだが、いちばん大きいのは、「元気になってお金を稼げるようになるために、断薬はどうしても成功させなければならない」という強いこだわりだ。

この思いがプレッシャーを誘発している。

だから、まずは、いったんこの思いを手放すことか。

一応、ここまでの気づきで記事としよう。

「心の無理」をやめていくこと

減薬は、15%ぐらいまでは順調だったが、そこからが大変だった。

その離脱症状に関して詳細は省くが、自分の無意識の根底にある否定的な信念が洗いざらいあぶり出されたような感じだった。

いつまで続くのかも分からない、暗闇の中を歩いているような気分でもあった。

しかしこれも、潜在的には私はずっとそうだったし、何か特別「悪いこと」が起きたわけではなかった。

ただし、それはもう、何もかも失ったかのような喪失感を伴っていた。

つまり、それが私の人生の「出発点」だったのだろう。

無意識の深いレベルで、私は「何もかも失った」ところから始まっていたのだ。

そしてまた、それは、何か「しがみつく」ことができるものがあれば、自分をもあっさり捨ててそれに「しがみついて」しまえるほどの喪失感だった。

それぐらい、何も頼れるものがない感覚は、つらかった。

私の人生には、私を助けようとする人や情報がたくさん現れているのだけど、根底にある喪失感が自覚されるまでは、知覚がゆがんだままで、それらを助けとして知覚することができなかった。

相手は私がどうであるかにかまわず、相手の自己満足のために私に働きかけているというような、変な知覚があった。

たぶん、母親がそういう心理で私の世話をしていたのではないかと思う。

しかし、これは別に、私の母親に問題を押しつける意味ではない。

若いときはそんなもんである。

私も、自分の若い時を振り返ると、やっぱり私も自分に対して同じことをしていたなあと思う。

つまり、自分の自我の自己満足で、自分をケアしたり人生を生きようとしていた。

本当に自分の心や体が何を求めているかを、抹殺しようとしていた。

それは、自分にはケアをする能力もノウハウもないと感じていたというのもあったが、もう一つは、「いったんかまいだしたらきりがないのではないか」というような、不安のような懸念のようなものがあったからだった。

だが、ケアを怠ることは、未来に「しわ寄せ」をもたらす。

それは、未来の自分を遠ざけることになり、結果として現在がますます行き詰まる。

現在の延長線上の未来しか想定しないことで、「癒された未来」の訪れを拒否しているのだ。

しかしこれは、逆に言えば、「癒された未来」をキャッチすることで、現在が開かれるということである。

それは、無理矢理希望を持つとか、無理矢理ポジティブになる、というようなことではない。

そうしたことすべてが、心が麻痺して分からなくなっていたのが、向精神薬の怖いところである。

もしかしたら、私はもう一生病んだまま、廃人同然になって死ぬのかもしれない、という恐怖や懸念もあった。

しかしそれはもっと言うと、そうした可能性をなんとかして排除しようとすることにより、結果としてそうした未来しか想像できなくなっていたのだった。

そして、離脱症状の中で起きたことは、その恐怖や懸念を押しのけること自体も諦めてしまい、それらに「どっぷりつかる」ことで、私が恐れていた状況がどういうものであったかがわかり、ある種の「覚悟」のようなものができたのだった。

つまり、今の状況が地獄のようなもので、それが永遠に続くのであれば、それを引き受けて、その中で生きていく方策を立てるしかない、とでもいうような覚悟だった。

そうした可能性を排除しようとしていた間は、いわば覚悟を決めず、なんとかしてすべてを放り出して逃げ出したい、としていた。

その結果、「癒された未来」も、私が心を閉ざしているので、訪れることができなかったのだ。

だが、もうこの状態が一生続くのか、という感覚でしばらく生きていたら、ふと、ごくわずかずつではあるが、未来が開かれて、「癒された未来」が少しずつ訪れていたようだった。

向精神薬は、心が痛みを感じているのをわからなくさせるという作用がある。

いわば、「心の鎮痛剤」である。

そして、心の病の渦中にいるときは、たいてい、心の痛みがあまりに強いので、気が休まることがなくなり、しばしば正気ではなくなっている。

だから、向精神薬も、心の痛みがあまりに強いときに、単発的に用いて、休養などをとりやすくして、よく休まるようにする、という使い方であれば、たぶん問題ないのだ。

肉体の鎮痛剤だって、長期連用すれば効かなくなるし、連用を止めると痛みがぶり返す。

しかも、ぶり返した痛みはさらに強くなり、今までの量では効果がなくなる。

向精神薬の問題も、それと同様なのではないか。

だから、私の問題は、向精神薬を飲んでいるかどうかではなく、薬を飲んでさらに無理をして頑張ろうとしていたところにある。

そんなことをすれば、薬がやめられなくなるのは、むしろ当然であろう。

だから、必要なことはまず、「心の無理」をやめていくこと。

そうすれば、減薬や断薬も、無理なく行うことができる。

そして、その結果、どうしても薬がやめられないなら、飲み続けてもいいのだ。

薬をやめなければならないと思い詰めることも、別の形で自分を苦しめる発想かもしれない。

スキーマ療法に取り組んでみて分かってきたことは、私がどれほど、無自覚のうちに心に無理をさせていたかだった。

その、あまりのひどさを直視できず、スキーマ療法自体も投げ出してしまおうとする衝動に駆られていた。

だが、自分の心の状態がそれほどひどいものだったということが、自然に分かってくるにつれて、自分がどれだけ、自分自身からのケアを必要としているかも、わかってきた。

今までは、ケアを求めている自分を抹殺することで「完璧な自分」になろうとしていたので、知覚もゆがみ、差し伸べられている助けの手も、そうだと知覚できなかったのだろう。

そして、このひどい離脱症状を経なければ、そのことを認識することもできなかったのだということも、今は分かる。

なので、スキーマ療法を通して「心の無理」を少しずつやめていくこと、が、これからすべきことであろう。

減薬に思うこと

向精神薬の減薬を始めて、まずは抗不安薬を水溶液減薬法で、あと15%まで減らしたところだが、だんだん、心の麻痺とでもいうようなものが薄れていく手応えを感じている。

また、薬を飲んでいた頃の自分が、どれだけ具合が悪く、また、その具合の悪さがどれだけ薬で分からなくなっていたかが分かってきて、本当にぞっとする。

あのまま、一生薬を飲み続けることにしていたら、私は自分の心に気がつくことなく、ただ混乱がひどくなるばかりで、廃人同然になっていたと思う。

今のところ、特筆すべき大きな離脱症状は出ていないが、ここまで減らす間にはなにがしかの大きな離脱症状の一つや二つは出ることを予想していたので、自分でも意外である。

これはたぶん、ホ・オポノポノのクリーニングによって、事前にだいぶ準備ができていたことによるのだろう。

だが、減薬はまだ終わったわけではないし、さらに、抗不安薬の次には、抗精神病薬と睡眠薬が残っているので、この先のことは分からないが。

それにしても、これらの薬によって私は、どれだけ潜在的に具合が悪くても、それが麻痺して、心を無視して行動できていたのだから、冗談抜きでこれはヤクをやっていたようなものだった。

そんな状態で自分を癒そうというのは、薬でラリっている状態のままで正気を取り戻そうとするようなもので、どだい無理な話だったのだ。

ただし、薬が一概に悪いというわけではない。

ホ・オポノポノ的には、薬にもアイデンティティがあるのであり、薬は、人を助けるために生まれてきた訳なので、問題は、薬そのものではなく、薬をどう用いるかなのだと思う。

例えば、心の悪循環に歯止めがかからなくなり、不安が増す一方で、睡眠も全くとれないなどの、急を要する状態の時に、単発的に睡眠薬を飲むことは、とても助けになる。

また、抗不安薬や抗精神病薬にしても、心を休ませてよく休養するために、限定的に薬を用いるのであれば、短期間で薬はいらなくなり、依存症にもならないと思うが、現行の薬の使い方だと、薬を飲んでさらに頑張るような使い方になっていて、それだと、薬がやめられなくなるのはむしろ当然なことだと言える。

私の場合も、薬を飲んで心が鈍っている間に、心を無視して行動することを身につけてしまったことで、あとあとに大変なしわ寄せが来ている。

もちろん、当時の私には、薬を飲むことはたぶん必要だったのだと思うが。

それに、最大の問題は、私が潜在的に、もう自分の心を抹殺したいと思っていたことであり、薬はただ、私が自分の心を抹殺することを「助けて」くれていたに過ぎない。

とはいえ、心を無視して行動する習慣にしても、一概に問題だとしてしまうことはできない。

その習慣があるために、私は、どんなに精神状態が悪くても、最低限の身の回りのことはこなせるようになっているのであり、それは確かに、私を助けてくれている。

ただし、もう、今はそうした技術が不可欠だった段階ではなくなってきていると思う。

なので、徐々に薬をやめていくことは、私にとっては、ばらばらだった今までの私の人生を、強力に統合するきっかけになるのだろう。

再出発

年末に私はたぶん生まれて初めて、親に対してあからさまに感情的になった。

それでも、例えば人格攻撃にならないようにとか、感情表現としての「一線を踏み越えない」ように気をつけながらだったので、むき出しにしたわけではなかった。

でも、怒りをむき出しにすることが重要なのではない。私が体験する必要があったのは、相手としての親に対してどうこうではなく、自分がどれだけ、親に対するわだかまりをため込んでいたかを、私自身が実感することだったのだと思う。

そういう意味で、私は本当に思春期の頃、家庭内暴力寸前の状態だったというか、自分を見限るようにして自分の心との連絡のスイッチを切っていたことで、かろうじて家庭内暴力にならずにすんでいたのだということを、再認識し、そして、今、いろいろと人生経験を積んできているから、なるべく危害を加えるようなことにならない形で怒りを表現できているが、思春期の未熟な人格では、本当に親殺しをしていたかもしれなかったということが、自分の考えすぎではなく本当にその危険性があったとわかり、よくそこまでの爆弾をここまで無害化してきたと、わずかではあるが自分の努力を肯定的に評価する気になった。

20年ぐらい前にも、親に対して爆発的な怒りを表出したことがあるが、あのときは場が大変な状況になり、私は自分の破壊的な力に対して罪悪感を持ったり、自己否定が強まったり、それは惨憺たる体験になったのだが、今回はそのときの罪悪感を「中和」するとでもいうような体験だったような気がする。

そして、結局状況はますます悪化しているだけではないか、とも感じられた。

しかし、私が感じるものは、私の信念を反映しているに過ぎない。つまり、私は、状況が悪化していると「感じている」、というだけであり、それは事実そのものではない。

そのようなことをつらつらと思っていたら、ふと、「状況が悪化しているという信念に凝り固まっていたら、改善の兆しがあることも見えなくなるよね」というような感覚が来た。

これは幻聴ではなく、エネルギーの塊としてそういう感覚がやってきたものが言語として翻訳されて感じられているものである。

その感覚が言ったことは、昨年の大変な体験によって、何を癒すべきかが明確になり、いわば「カードが出そろった」のだと捉えることができるよね、というような見方だった。

私は不承不承だったが、確かにそういう見方ができると同意せざるを得なかった。

そういう意味では、惨憺たる状況と私が感じているということは、ようやく、本当の意味での出発点に立ったのだ、ということなのかもしれない。

自分「だけで」何とかしようとすることは、ただ自分を自縄自縛の罠に、より深く陥らせる結果にしかならなかった。

私が少しでも助かってきたとすれば、それは私が、心の中の神聖さに向かって「助けを求める」ことを意志したからだった。

そして、それだけが本当に必要なことなのだろう。

心の中の神聖さは、スキーマ療法という心理療法では、「ヘルシーな大人モード」と呼ばれるものと通じているのかもしれない。というより、「ヘルシーな大人モード」という概念が、心の中の神聖さを心理学の枠組みの中で捉えたもの、ということになるか。

また、感覚からのメッセージは、行動を起こすときに、欠乏感や不満から行動を起こすのではなく、現状は必然的なものだったのだということを、肯定的に捉えるというか現状を是認するというか、そうした、肯定的な認識に基づいて行動を起こすことを勧めてきた。

それから、私が自分の努力を過小評価する癖があるので、自分が自分の回復や癒しのためにどれだけ努力してきたか、そして実際に、着実に回復してきている、ということを、正当に評価することの必要性を伝えてきた。

私は、「自分はこんなに頑張ってきた」ということを、過度に主張する癖があるが、それは実は、「すべて無駄だったのではないか」という空虚感というのか罪悪感というのか、そうした引け目を直視したくないから、表面的に強い態度に出ていた。

そうした、徒労感とでも呼べるような感覚に自分がさいなまれていたことが、今書いていて分かり、そしてこれはクリーニングの機会だと感じて、クリーニングした。

そう、ようやく私は、出発点に戻ってきたのだ。

それは、今までの努力が無駄だったということではなく、すべては、本当の意味で再出発することができるようになるために必要なことだったのだろう。

この地点からなら、「もう一度、選び直す」ことができる。

危機感の癒やし

秋の終わり頃から調子が少しずつ安定してきて、今は絶好調というにはまだほど遠いが、今までの状態に比べるとよくなってきた感じがする。

何がよかったかはわからないが、いろいろなことが作用しているのだと思う。

その中で、一つ印象に残っているのは、あるとき、ふと、自分の中にものすごい危機感があることに気がついたことだった。

そして、その危機感に追い立てられるようにして、不安や焦燥感なども生じていたのだった。

当然ながら、今、その状態を維持しているのは自分なので、危機感を抑圧するのをやめて、危機感の中に「浸る」というか、危機感を切り離すのをやめるというか、そのようにして、クリーニングしながらしばらく過ごしてみたら、やがて、危機感として感じられていたエネルギーは、危機感の形が解消されていくにつれて、自分のエネルギーとして統合されていったとでもいうような感じになった。

それから、少しずつではあるが、絶えず危機感に追い立てられているような感じは、減ってきている。

そうしてみると、外的な状況から危機感を募らせていたのではなく、絶えず危機感があったからいろいろな状況が危機的なものに感じられていたというのがわかってきて、状況は変わっていないが、以前ほど危機的な状況だという感じは薄れてきたような気がする。

だから、ようやく、本当の意味で療養することができるようになってきたというところであろう。

この危機感、あるいは慢性的なパニック感覚、に、若い頃はもっと追い立てられていたし、よくあんな状態で生きていたものだと、ぞっとする。

もう、自分がよくなることはあり得ず、一生、心身の不調と付き合いながら生きていくのだろうと覚悟していた面もあったので、この1ヶ月ちょっとの変化は、本当に思いがけないものだった。

諦めの感覚を見つめる

諦めの感覚はとても根深いように感じられる。

幼少期の頃、すでに私は、「自分を生きる」ことを潜在的に諦めていたような感覚が、潜在的にはあった。

親が「よい」と認める自分しか存在することを許されない感じで、親が「よい」と認めない私は、怒られることすらなく、存在していること自体が「なかったこと」にされる、とでもいうような感じだった。

怒られるのなら、否定的な形ではあるが、まだしも存在を認識されているのだが、はじめから存在しないことにされているというのは、心理学用語を使えば「ネグレクト」を受けたのと同様の状態になる。

私の親はたぶん、「怒らない子育て」とか、「子供の自主性を尊重する」というのを、親なりに実践しようとしていたのだろうと、大人の感覚がわかるようになった今では思う。

しかし、形としてだけ怒らないようにしていても、心の中では怒りを我慢しているのでは、表面上は「怒らない子育て」をしているようでありながら、実際には、我慢している怒りの方が子供に伝わる。

そうすると、表面化しない分、実は潜在的にものすごい激怒を抱えているように感じられる。

そして私は、元々持っていた罪悪感のために、親は私に対して、常に我慢の限界に達しているという恐怖と、自分は怒られるという形で愛を向けられるだけの価値もない存在なのだという無価値感を蓄積させていた。

だが、そうした記憶もまた、ホ・オポノポノとしては、クリーニングであろう。

クリーニングしてみると、やはり、以前から気がついていた、引きこもりの人にしばしばあるという「心のシェルター」の感覚が浮かんでくる。

つまり、外界や他者に対して自ら心を閉ざすことで自分を守るようになってしまっていて、自分が見せている「表の自分」は仮面であり、自分にとって「偽の自分」のように感じられるという感覚である。

『仮面ひきこもり』の本では、そこからの脱出として、ひきこもってしまった「本当の自分」が表に出てくることの必要性が説かれていた。

しかし、それもまた、意識的にそうしようとしても、「「本当の自分で生きている」という仮面」が形成されるだけで、仮面の自分が強化されるに過ぎない。

というより、少なくとも今までの私は、そのようにして仮面を強化してしまっていた。
いずれにしても、本当の自分・ありのままの自分は親にすらも認められないと感じていたのは、私が自ら心を閉ざすことを選んでいたことと関係がある。

そして私は、そうした自分の心の状態を、親にわかってほしいと切に求めていた。

幼少期には、まだそうした、本当の自分をわかってほしいという気持ちはあったのだが、思春期頃からだろうか、それすらも諦めるようになっていった。

スキーマ療法では、早期不適応的スキーマとして、18のスキーマが挙げられているが、その中には、「ありのままの自分であってはいけない」というようなスキーマはないが、交流分析によると、人は幼少期に親から禁止令というのを受けることがあり、その中に、「いるな(存在するな)」という禁止令があり、自殺願望に苦しんでいる人は、この禁止令を持っている可能性があるとされている。

そうした、ありのままの自分であることが何か否定的なことのような雰囲気の中で、親が求めている自分を演じ続けることでしか親に愛されず、ありのままの自分は存在していること自体がすでに「許されない」こと、つまり罪である、という感覚を持っていては、心を病むのがむしろ当然であろう。

ただ、そうした感覚的記憶ですらも、自覚することができたということは、クリーニングの機会だということでもある。

クリーニングすることで、タマネギの皮をむくように、さらにその奥の記憶が出てくるものであり、そのようにして、心のシェルターに関しても、少しずつ、もうシェルターを持っている必要がないと心が納得できてくれば、無理に心を開こうとしてかえってシェルターを強めるようなことにならず、自然に解放されていくのだろうし、ありのままの自分に関しても、クリーニングが進むにつれて、たぶん、もう無理をし続ける必要はないのだと納得できてくれば、ありのままの自分であってもいいという感覚へと解放されていくのだろう。

諦めの感覚

自分が、時空の中で迷子になっているような感覚がある。

何か、方向を見失って、ずっともがいているかのような感覚がある。

正確に言えば、以前はもがいていたが、最近はもうもがくことすらも諦めてしまったような感覚がある。

ただし、以前の方が元気があったわけではない。

この諦めの感覚は、私がずっと心の中に抱えていたものであり、以前、めくらめっぽうにもがいていたのは、この、心の底にある深い諦めの感覚から目をそらし続け、逃げ続けるためだった。

そういう意味では、私は自分が何かを見失った、その原点に戻りつつあると言えるのかもしれない。

その深い諦めの感覚は、もう自分は永遠に、時空の迷子であり続けるしかない、永遠にこのまま、さまよい続けるだけだ、というような感覚である。

それが何か好転するかもしれないという可能性があるなどとは、嘘でもいいから思う気にもならない。

どれだけもがいても、どこにもたどり着かなかったという、深い絶望もある。

たどり着いた「ふり」をしていたこともある。

しかしそれは、「ふり」をすれば実際にもそうなるのではないかという、これもまた一種の「もがき」であった。

それは結果として、諦めの感覚をさらに深いものにしただけだった。

今、原点に戻ってきて、私は、この諦めの感覚を否認し、蓋をし続けるのではなく、この諦めの感覚を直視し、向き直る必要があったのだと、ようやく感じている。

その諦めを、自分と分離したものとして、邪魔者とか、自分を「脅かす」ものとして捉えている間は、自分は諦めの「被害者」であり、解決されるべきはその諦めであり、自分ではないと感じていた。

その感覚をそのままにして諦めだけを解決しようとしたために、いたずらにもがき続けることにもなったのであろう。

自覚する必要があるのは、その諦めは「外」にあるのではないということである。

それは、自分の心の中にあり、それがさまざまな「外的な」ものとして知覚されているに過ぎない。

そしてその、「外」にあるのではないというのは、自分の心の中にあるという意味でもない。

心の底に諦めがあるという状況自体が、何かの投影結果なのである。

だが、その「何か」は、今のところはまだとても直視することができない。

迷子になっているかのような感覚というのは、神や聖霊とのつながりが失われてしまったと感じている、ということでもある。

しかし、神や聖霊とのつながりは、どれだけ細くなろうとも、決して失われることはないというのは、奇跡講座にはっきりと書かれている。

ということは、私が、神や聖霊とのつながりが失われてしまったと感じているのは、事実ではないということになる。

ただ、もがけばもがくほど、つながりが見えなくなっていったというのはある。

そしてまた、もがきつづけるということ、そのこと自体が、つながりは失われたという信念を証明しようとし続けていたのであろう。

その意味でも、もがくことすらも諦めてしまった今の状態は、やはり、つながりを再認するための原点に戻ってきたと言える。

おそらく、私が混乱してもがき続けることになった誤解の一つは、ゴールは「外」にある、という信念にあるのかもしれない。

つまり、例えば、生活技術であれ、霊能力であれ、「よりよい人格」であれ、そうしたものを獲得したり達成したりすることが、ゴールに達するとまでは言わなくとも、少なくとも「近づく」ことになると信じていた。

そのように、何か「外的な」ものを獲得したり達成したりすることがゴールに近づくことになる、という信念は、ゴールが「外」にあると信じているからである。

そうではなく、ゴールは自分の「内」にある。

このことも、言葉としては理解しているつもりだったが、実践面において私は、相変わらず外へ外へと向かっていた。

深い諦めの感覚を否認して、そこから逃げようとし続けていた。

おそらく、問題自体が、その問題の解決策を示している。

言い換えれば、諦めから逃げ続けるのではなく、諦めに向き直り、それがどういうものであるかを先入観なく正直に見つめることである。

たぶん、そのことが、神や聖霊とのつながりを思い出すきっかけとなる。

というのは、「先入観なく正直に見つめる」ということが、聖霊とともに直視することへと連なっているからである。

しかし、「先入観なく正直に見つめようとすること自体が、すでに聖霊とのつながりを取り戻していることなのだ」とは言えない。

なぜならば、それは、聖霊を自覚することや、自覚的に聖霊を選ぶことを巧妙に避けているからである。

しかし、そのように回避してしまう理由は、やはり、神や聖霊に対する恐れがあり、その恐れと諦めの感覚もまた、無関係ではない。

実際には、神に対する恐れから、神とのつながりを自ら断ち切ろうとしていたのであり、そのことを否認して、「神とのつながりが失われてしまった」と知覚していたわけである。

まずは、そこをよく見てみることからだろう。

ウニヒピリとの和解の一歩

ホ・オポノポノを始めてから、内面の嵐(正確には、すさまじい記憶の再生っぷり)が続き、内面の嵐自体はずっとそうだったものだけど、それがどれほどのものであったかを自覚することになった。

クリーニングしてもしても追いつかず、不眠はひどくなり、いっときは先が全く見えない感覚に陥っていた。

先が見えない感覚もまた、今に始まったことではなく、潜在的にはずっとそうだったものが顕在化してきたものではあるが。

ウハネとしての私がウニヒピリに記憶を押しつけ続け、ウニヒピリがいわば「記憶の最終処分場」のような状態になっていて、しかも私は、そのようにしてウニヒピリを切り離し続けることで、自分の「あってほしくない」面を「なかったこと」にしようとしていた。

以前は、そのようにして私は、自分が認めたくない自分を完全に抹殺しきれば、「理想の自分」になれると本気で思っていた。

それが、ホ・オポノポノを学び、ウニヒピリのケアの大切さを知り、気が進まないながらもウニヒピリの感覚を意識したら、まず出てきたのは、コールタールかヘドロのような、黒くて重くてどろっとしたエネルギーだった。

私の中で、「なかったこと」にしようとしていたものが、そんなにまでなっていたのだ。

それからも、ウニヒピリを意識することは心がけていたが、「音沙汰なし」という感覚が続いた。

しかし、不眠がひどくなったりしたのは、今思うと、クリーニングが進み始めて、今までウニヒピリに押し込められていた感情が、少しずつ息を吹き返してきたからなのではないかという気がする。

また、これはインナーチャイルドがブラックホール化しているよなあと感じたりもした。

私は物事を受容するキャパが大きいと思っていたが、それは実際には、インナーチャイルド(あるいはウニヒピリ)がブラックホール(最終処分場)と化していたために、どれだけでも飲み込むことができそうな感覚に陥っていただけで、心身の疲労困憊はもう何十年も前から、尋常ではないレベルに達していたが、無視し続けていた。

また、心にブラックホールがあると感じることについて検索して見つかった言及から、その人による『仮面ひきこもり』、『ひきこもりと家族トラウマ』(いずれも服部雄一著)という本を読んだが、ここには、まるで私のことを知っているのだろうかと思うぐらい、私に当てはまることが書かれていた。

そうした本を読んだことが、ウニヒピリの記憶を恐れる気持ちを少しずつ和らげてくれたようだった。

それまでの私は、絶えずわき上がろうとする感情にさいなまれ続けている感覚があり、ウニヒピリから自分が被害を受けているかのような感覚にすらなっていた。

だが、ウニヒピリに記憶をため込み続けたのは、ほかならぬウハネとしての自分であり、私は自分がしたことを恐れていたわけだった。

そして、ひきこもりの子供と家庭内暴力との関連についても予備知識を持ってから、改めてウニヒピリとつながろうとしたら、激怒が出てくる、出てくる。

若い頃から抑圧し続けていた怒りが止めどもなくわき上がってきて、これが記憶の再生の一部であること、私がそれだけ感情をため込んでいてもおかしくないほどの過去だったこと、そして、再生された記憶はクリーニングすれば浄化されること、などの予備知識がなかったら、やっぱりだめだと以前のように蓋をしてしまったかもしれなかった。

そして、出てきた激怒の記憶に対して、そしてその記憶を再生してくれたウニヒピリに「ありがとう、愛しています」と心の中で言い続けてクリーニングし続け、とにかくウニヒピリから逃げずに、また、蓋をしようとせずに、ただクリーニングし続けた。

そうしたら、「心の中の家庭内暴力」は、やがて静まっていったようだった。

そして、今朝になって、大雨がきっかけかなと思うが、「怖いよ、怖いよ」と大泣きしているような記憶をウニヒピリが再生し始めて、よしよし、怖かったんだよね、ないがしろにしてごめんね、というように私は声をかけ、まだわずかではあるが、ようやく、ウニヒピリとの和解に向けて第一歩を踏み出し始めたように感じた。

本当に私は、まるでウニヒピリを「感情のゴミ箱」「記憶の最終処分場」であるかのように扱っていた。それは神の子である自分を抹殺することに等しいことだった。

ただ、ウニヒピリのケアをするといっても、何をどうすればいいのか全くわからずにいるし、言葉だけ愛があるかのような言葉を使っても、そして、無理に愛そうとしても、ウニヒピリは敏感にその嘘に気がつく。

今でも、首や肩や頭はばんばんにこり、腹が絶えず重苦しく、胸も圧迫感があって呼吸が苦しいのは、まだまだ、今の私には想像できないほどの大量の記憶がため込まれているのだろうと思う。

ウニヒピリとの和解は、まだようやく、始まったところである。